雨の日に・・・。

(平成16年2月11日〜14日 月樹庭園の掲示板にて掲載!)

 


立春も過ぎて 世の中がバレンタイン商戦に踊らさせていた そんな
ある日の土曜日 西田は勤務の帰り道 レンタルビデオショップに
来ていた 西田真美は大阪市内のとある中学校に勤務する女教師
40歳を過ぎたとはいえ スタイルと顔立ちは女優の松下由樹に間違え
られるほど若々しく その年齢を感じさせなかった 夫も小学校の教師で 
子供は小学校5年生の長女と同じく小学校3年生の長男に囲まれ
ごく普通の幸せな家庭生活を送っていた 普段なら勤務が終ると近所の
スーパーで買い物を済ませ一目散に帰路に着き台所に立つのだが
この日は夫が子供たちを連れて一泊の予定で朝から釣りに出かけ
何年ぶりかで静かな一人の週末を過ごしていたのだった そこで今夜は 
ワインでも飲みながら大好きな映画のビデオでも見て思いっきり一人の
時間を楽しもうという魂胆なのである

「“マディソン郡の橋” かぁ〜 そう言えばこの映画 まだ見てなかった
よねぇ〜 よし! これに決定!」 西田は心の中でそうつぶやきながら 
そのビデオを手に取るとレジに向った ・・・とその時 「・・・先生?」
うしろから誰かがそう呼んだ 呼ばれて西田が振り返るとそこには20代
半ばのスーツ姿の青年が立っていた見れば 今人気の若手俳優
窪塚洋介に何処となく似た好青年である 「西田先生でよすね!」
「ハイ そうですけど〜」 「俺ですよ先生! わかります?」 言われて
西田は青年の顔をマジマジと眺めた 好青年だけど何処か淋しそうな目と
照れを含んだ笑顔・・・ 西田は すぐにそれが誰だかわかった!
「・・・中塚くん?」

中塚英俊 25歳! 彼は西田が教師になって初めてクラス担任に
なった時の生徒の一人だった 中塚は当時 いわゆる登校拒否で初めて
西田を手こずらせた生徒だったのだ 登校拒否といっても 今 社会
問題になってる “引きこもり” とかいった生徒ではなく かといって
集団でたむろする不良タイプでもなく いわゆる一匹狼的な古いタイプの
問題児だったのである そんな中塚だったが 西田とは何故か波長が
あった そして親身になって接してくれる西田に対して少しずつ心を
開くようになり いつの間にか中塚は西田に好意を持つようになって
いたのだ 思春期に年上の女性に憧れを抱くという まぁ男には
ありがちな話ではあるが そのおかげで中塚は無事に中学校を卒業
できたし 西田にとってもそれが教師生活を始めて最初にぶち当たった
難関だったので それがクリア出来て教師を続ける自信にもつながった
大事な思い出の生徒の一人だったのだ

「久し振り〜 随分と立派になったね スーツなんか着てるから一瞬
別人かと思ったよ この近くに勤めてるの?」 「いいえ 東京の出版
会社で営業の方をやってるんですけど きょうは ちょっと所用でこっちに
帰ってきたんですよ ご無沙汰してます〜」 そう言って中塚はペコンと
頭を下げた すっかり大人の男性へと成長した中塚だったが 視線を
そらせて照れ笑いを浮かべたその顔は昔のままだった 「先生!
きょうはビデオ鑑賞ですか?」 「そうなの 夫が子供たちをつれて一泊で
出かけてるから久し振りに独身生活に帰ってのんびりしようと思ってね
・・・そうだ! ねぇ 中塚くん! 時間ある? 良かったらお茶でも
しない?」 「えっ! 先生がお茶に誘ってくれるんですか? それなら
もう喜んで・・・。」

久し振りの再会で意気投合した二人は ビデオショップを出ると
すぐ向いにある喫茶店に入った そして時間を忘れて話込むのであった

「先生覚えてます? 俺が昔 駅前で近所の不良グループを相手に
大ゲンカしそうになった時 先生が金属バットを振り回して止めに入って
くれたのを・・・。」 「忘れる訳ないでしょ 5人も相手に一人でケンカ
しようとするんだもん 無茶苦茶もいいところよ」 「でも 金属バットを
振り回して “私を殴ってからにしてェ〜” なんて止めに入る女教師
というのも 今考えたら無茶苦茶なんじゃないの?」 「ハハハッ〜
確かにそうよね 実はあの頃 私も教師を続けて行く自信がなくてね
“もうどうにでもなれ!” って感じで半ばヤケクソだったのよ」
「でもあの時は先生の迫力に 見ていた大勢のギャラリーからも拍手が
興ってさ〜 それに圧倒されて 不良たちもバツが悪そうに退散して
いったんだよね あの時の先生カッコ良かったよな〜」 「あの一件以来
よね 中塚くんが学校へ来てくれるようになったのは・・・。」 「まぁね!
先生の男気に惚れたと言うか・・・。」 「なんだとぉ〜 もう一辺言ってみろ 
誰が男だってぇ〜」 「ハハハッ〜」

何時の間にか二人は 周りの目も忘れるほど大きな声で大笑いをし
話に熱中していた 「なんて楽しいんだろう!」 西田は心の中でそう
感じていた この若い青年を前に久し振りに生き生きとしている自分
自身に気が付いていたのだ 思えば結婚して以来 夫以外の異性と
こんな風に二人っきりで話すのは これがはじめてではないのか?
夫はギャンブルや女遊びをする訳でもなく真面目に働いてくれるし
二人の子供たちも大きな問題を起こすでもなく すくすくと育っている
傍目から見ればこんな幸せな生活はないだろう しかし毎日 朝一番に
起きて朝食の準備をし 夫と子供たちを送り出し自分も仕事に出かけ
終ったらまた一目散に帰宅して夕食の準備・・・。 毎日の家事と仕事に
追われるばかりで変化のない退屈な生活にうんざりしていた西田にとって
この中塚との会話は久し振りに味わう新鮮な快感だったのである

楽しい会話は終ることなく続いた 西田は何時しか中塚に対し大人の
異性としての魅力を感じはじめていたが この時はまだ 西田自身
それに気付いてはいなかった

ふと我にかえって外を見ると辺りはすっかりと日が暮れ 春とは
名ばかりの冷たい雨となっていた 「わっ どうしよう? 私 傘持って来て
ないわ」 「すみません先生 すっかり引き止めてしまって・・・
俺 車ですから お送りしますよ」 「大丈夫よ すぐそこだから この
程度の雨なら走って帰ればすぐだし・・・。」 「まぁ そう遠慮せずに・・・。
それとも 俺の運転じゃ信用できなって訳かな?」 「そう言う訳じゃ
ないけど・・・。」 少し戸惑いながらも西田は 「まぁ いいか! それじゃ
お言葉に甘えようかな〜」 「そう来なくっちゃ!」 こうして西田は
中塚の車に乗り込んだ さっきまでの賑やかだった喫茶店での会話とは 
うって変わって 二人だけの空間は静かなトーンの会話となった

「ねぇ先生 先生は今の旦那さんと何処で知り合ったの?」 「なんで
そんなこと聞くの?」 「いや 何となく興味があって・・・。」 「そうねぇ〜 
職場結婚ってとこかな?」 「へぇ〜 ・・・ということは先生の旦那さんも
教師なんだ!」 「そうなの 夫は小学校だけどね!」 「へぇ〜
そーなんだ・・・ところで先生は幸せ?」 「ちょっとぉ〜 一体何が
言いたいの? ひょっとして変な宗教にでも入ってるんじゃないでしょうね」 
中塚の質問に対し西田は疑問げに そう問い返した すると中塚は
「ごめん! 今の質問は取り消すよ 妙な宗教に足を踏み入れたりは
してませんので ご安心を・・・。」 そういって苦笑いをした そんな中塚に
対して今度は西田が反撃に出た 「私のことより 中塚くんはどーなの?
彼女とかいないの?」 「残念ながら・・・。」 「なんだ なんだぁ〜
人の心配するより自分の心配をしろ!」 そう言って西田は右手で
運転席の中塚の頭を軽く指で突付いた そんな会話をしているうちに
車は西田のマンションへと到着した 二人は携帯のアドレスと電話番号を
交換すると・・・ 「ありがとう! それじゃ仕事頑張ってね」 そう言って
車を降りようとした西田の右腕を掴んで中塚が・・・。 「ねぇ先生
もう少しだけいい?」 「何 どうしたの?」 「実は俺 きょう先生に話が
あってここへ来たんです」 「えっ!」 予期しなかった中塚の言葉に
西田は一瞬 “ドキッ” とした 「学校の方へ行ってみたんだけど
先生は転勤されてたみたいで・・・それで学生の時に一度だけ あの
ビデオショップで先生を見かけたことがあったもんで もしかして・・・と
思って来てみたんです そしたら先生が・・・。」 「そうだったの でも
どうして?」 「実は俺 ずっと先生のことが好きだったんです・・・。」

西田は動揺した 久し振りに会った教え子から まさかこんな言葉が
帰ってくるなどとは想像もしていなかったからである 考えてみれば
目の前にいる中塚はすでに中学3年生だった頃の中塚ではない
すっかり大人の男性として成長した一人前の男である そんな中塚が
西田に対し真剣に恋心を抱いたとしても何の不思議も無かった そして
西田自身も この時ようやく自分の気持ちに気づきはじめていた しかし
西田には夫も家族もいる それを考えると うかつな返事は出来なかった 
西田は努めて冷静なふりをして・・・。 「ありがとう 突然だったから
ビックリしたんだけど なんか凄いうれしい・・・。 今 すごく動揺してるん
だけど でもなんて言ったらいいのか・・・ごめんね こんな在り来たりな
言葉しか言えなくて・・・。」 「俺の方こそ突然変なこと言ってすみません
こんなこと言ったら先生が迷惑するのは承知してるんだけど でも
どうしても 自分の気持ちだけは伝えておかないと俺の中で心の整理が
できなくて・・・。 学生の頃からずっと先生に憧れてたんです でもそれが
最近になって単なる憧れなんかじゃないってことに気が付いたんです
いろんな女性と付き合ってはみたんだけど いつも俺の心の中には
先生がいて・・・それがどうしようもなくて・・・。 実は来週 仕事の都合で
シンガポールへ行かなけりゃならなくなったんです 行けば多分4〜5年は
帰れないと思うんですよ そう思ったら余計に先生のことが気になりだして 
それで 旅立つ前に自分の気持ちを先生に伝えてスッキリして終わりに
しようと思って・・・。」 「その為だけに大阪まで来たの?」 「ハイ」
「もし きょう私があのビデオショップに来ていなかったら?」 「その時は 
あきらめて帰るつもりでした」 突然の展開に頭の中が混乱する西田は 
「・・・ありがとう!」 その一言をいうのがやっとだった 「俺の方こそ
すみませんでしたでも会えてよかった これで気持ちがスッキリしました」 
「そっちの気持ちは スッキリしたかもしれないけど おかげでこっちは
複雑よ・・・。」 西田は中塚に視線を向けると微笑みながらそう言って
車を降りた  中塚は西田の手の温もりと感触を記憶にしっかりと
刻み込むかのように名残惜しげに車のドア越しに握手をすると
「ありがとう 先生!」 「うん! こっちこそありがとう 仕事頑張ってね」 
「先生もね!」 そう言い残すと「ア・イ・シ・テ・ル」 ・・・と  ドリカムの 
「未来予想図U」 の歌の歌詞さながらにテールランプを5回点滅させ
雨ににじむ街中へと消えて行った

マンションの部屋に戻った西田は リビングの机の上に借りてきた
ビデオを置くとソファーに座ったまま夕食の支度をする気分にもなれず
ジッと一点を見つめて物思いにふけっていた こんな時もし家族がいたら
直ぐに気持ちを切り替えることが出来ただろうに・・・。 よりによって
今夜は一人っきり・・・。 西田は借りて来たビデオを見る気にもなれず 
冷蔵庫からワンイを取り出すと一人で飲みはじめた 外の雨音は一段と
激しくなっていた

どれくらい時間が経っただろう? 「トゥルル〜 トゥルル〜」 西田の
携帯電話が鳴った 西田は手に持っていたワイングラスをテーブルの
上に置くと携帯電話をとった 「もしもし・・・。」 問いかけてみたが
返事がない そこで もう一度 「もしもし・・・?」 すると今度は小さな
声で返事が返ってきた 「・・・先生?」 それはさっき別れたばかりの
中塚の声だった 「中塚くん?」 「すみません先生 自分の気持ちを
整理するつもりで先生にお会いしたはずなのに先生に会ったら余計に
気持ちが・・・。」  中塚の携帯の向こうからは激しい雨音が聞こえていた 
「ねえ中塚くん 今 何処にいるの?」 そう問いかける西田に対して
電話口の中塚は・・・。 「先生のマンションの下にいます」 そう言われて
驚いた西田が5階のベランダから下を覗くと 雨の中 傘もささずにジッと
立ったまま携帯電話を握り締めた中塚がそこにいた 「ちょっとぉ〜
風邪ひくよ〜」 西田は そんな中塚の姿を見たとたん思わず電話口で
そう叫んだ そのあと しばらく沈黙が続いた 雨は容赦なく中塚の
頭上から音を立てて落ちている 見かねた西田は静かな口調で・・・
「上がってくる?」 そんな西田の言葉に中塚は 「いいんですか?」 
確認するようにそう問いかえした 西田は しばらく間を置いて 「うん!
・・・いいよ!」 とうとう その一言を発してしまうのだった

「部屋 間違えないでね 5階の516号室よ それとお隣に聞こえるから
チャイムは押さないで・・・玄関のカギを開けておくから・・・。」 そう言って
電話を切ると 西田は罪の意識にさいなまれている暇もなく リビングに
飾ってある家族の写真を大急ぎで取り外し押入れに片付るとバスルーム
から洗いたてのバスタオルを取り出し それを胸元に抱え 玄関のドアの
後ろで息を殺して中塚が来るのを待った しばらくするとかすかな足音が
してドアの前で止まる やがてドアのノブがゆっくりと廻りだした そして
スローモーションのように扉が動き始め10センチほど扉が開いたところで
西田は中塚を確認すると 静かに中へ招きいれ玄関のカギを閉めた
降りしきる雨の中で立ち続けていた中塚の体は滝にでも打たれたかの
ように上から下までビッショリだった 西田は用意していたバスタオルで
中塚の頭を拭きがら 「ホントにもぉ〜 無茶苦茶なところは昔から
ちっとも成長してないんだからぁ〜」 ささやくような小声でそう言った
すると中塚も負けじと・・・。 「先生だって・・・。」 中塚のお返しの言葉に
西田は上目遣いにニッコリと微笑むと 雨で体が冷え切った中塚を
暖かいリビングへと招いた 「服 乾かすから脱いで・・・。」 さすがに
夫の衣服を着せるのは ためらったのかそう言うと西田は一枚の毛布を
手渡した 裸のまま毛布一枚に包まった中塚はソファーに座ると 目の
前のテーブルに置かれたビデオと飲みかけのワイングラスを見つけ
「ごめん 先生 ビデオ鑑賞の邪魔して・・・。」 「ホントよぉ〜 あなたの
おかげで折角のビデオを見る気にもなれなかったんだから・・・。」
そういうと西田は中塚の背後から ソファーの前にある消えたテレビの
画面に映る中塚に向って おどけて舌を出し “アッカンベー” をして
見せた 緊張していた中塚だったが そんな西田の顔を見て一気にその
緊張がとけた 二人はテレビの画面に映ったお互いの顔に視線を合わせ
ニッコリと微笑んだ そして・・・ 「中塚くんもワイン飲む?」 そんな
西田の問いに 「ハイいただきます」 そんな会話を交わすと寄り添い
ながらソファーに座り仲良くワインを口にした  しばらくは取りとめも無い
会話が続いていたが 一瞬 会話が途絶えると二人はどちらからとも無く
お互いに視線を合わせた そしてその顔が真剣な表情に変わったかと
思うと 中塚は西田と視線を合わせたまま自分のグラスをテーブルの上に
置くと 今度は西田の持っていたグラスを右手でそっと奪い それを
テーブルの上に置いた そして自分の包まっている毛布の中に西田を
やさしく包み込んで抱き寄せた 雨の音に加え リビングに置かれた
熱帯魚の水槽のポンプの音が大きく聞こえてくる こうして幻想の世界に
迷い込んだ二つの影はやがて静かに一つに重なった 二人の吐息を
かき消すかのように外の雨は ますます激しさを増していた

このまま世の中が終わりを向えるならそれもいい・・・。
二人で化石となって永遠に地の底で眠れるなら・・・。

しかし 別れの時は容赦なくやって来た あれだけ激しく降っていた雨も
明け方には止んで 夕べまでの雨音がウソのように静まりかえっていた 
新聞配達だろうか? まだ暗い外の世界から単車の音だけが忙しく
響きわたり 街が動き始めたことを伝える 二人には この音が
さながらシンデレラの鐘の音のように聴こえるのだった

朝には中塚の服もすっかり乾いていた 西田は白いバスローブを一枚
羽織ると 玄関のドアの後ろで中塚を見送った 中塚は玄関でもう一度
振り向くと 西田の体をしっかりと抱きしめ 「先生 俺と一緒に来て
くれない?」 耳元でささやくようにそう告げた そんな中塚の言葉に
西田は消え入りそうな声で 「一緒に行けたら どんなに素敵だろうね・・・
ごめん・・・わかって中塚くん」 そう言って中塚の両肩に手をやると
ゆっくりと引き離した 中塚は西田の目をじっと見ながら 「わかったよ
先生! 俺の方こそ無茶言って ごめん」 そうつぶやくと 更に・・・
「どう先生? 俺もちょっとは成長しただろう?」 そう言いながら小さく
微笑んで見せた 西田は唇が震えて声にならなかったが精一杯の笑顔で
うなずいた やがて・・・ 「じゃぁ 俺行くよ」 そういうと中塚は まだ
明けきらない朝の街へと出ていった

一人っきりになった西田は まだほんのりと暖かさの残ったリビングの
ソファーに座り直すとテーブルの上に仲良く並んだ空のワイングラスを
見つめたまま まんじりとも動こうとしなかった 涙だけが止め処も無く
あふれてくる この時 西田は初めて自分の気持ちにハッキリと気が
付いたのだ 「今なら間に合う!」 そう思った西田はテーブルの上に
置かれた携帯電話をひらくと 中塚に電話をしようと電源を入れた
・・・と まさにその時だった 「トゥルル〜 トゥルル〜」 携帯電話が
鳴ったのである 西田はその瞬間電話の主を中塚だと思ったが違って
いた 見ればそれは夫からの電話だったのだ 西田は一瞬動揺したが
呼吸を整えると少し間を置いて電話をとった 「もしもし?」 「あっ!
もしもし  ママ? 今ねぇ パパが凄い大きなチヌを3匹も釣ったんだよ〜
今夜は買物行かなくていいからね〜」 電話の主は娘だった 恐らく
早朝から親子3人で海に出て釣りを楽しんでいたのだろう 母親に大漁の
感動を伝えようと電話してきたのだ 西田は努めて明るく 「凄いね〜
楽しみに待ってるからね〜 気をつけてね〜」 「うん 夕方には帰るから 
じゃぁね〜」 それだけを継げると電話は切れた 西田は魂が抜けたかの
ようにその場に座り込んだ 携帯電話を握る力もなくなり床に転がり
落ちる しばらくして西田は 思い出したように押入れを開けた そこには 
西田が夕べ慌てて仕舞い込んだ家族の写真があった 満面の笑顔で
写った子供たちと夫の顔・・・その写真を手にとって西田はやっと我に
返った 涙でにじむ目で写真をながめる西田の目から また別の涙が
溢れてきた 西田は その写真をきつく胸に抱きしめると溢れる涙を
ぬぐいながら元あった場所に飾り 床に転がった携帯電話を手にとると
静かにそれを閉じた

夕方になって 出かけていた夫や子供たちが帰ってきた 先を争って
賑やかに土産話を繰り広げる子供たち・・・夫はと言うと・・・今朝方まで
中塚と一緒だったソファーに腰掛けビールを飲みながら夕べの出来事など
知るはずも無くサッカー観戦を楽しんでいる 西田は 鉢植えに水をやる
ふりをしてベランダへと出た 外はすでに薄暗く暮れかかっている
冷たい風が街路樹の落ち葉を巻き上げて目の前を通り過ぎて行く・・・。 
西田はきのう土砂降りの雨の中 中塚が立っていたあたりをしばらく
呆然と眺めていた・・・。 買物帰りの近所の主婦が幼い子供の手を
ひいてそこを通り過ぎてく・・・。 西田は目を閉じて大きく一つ呼吸を
すると ポケットから携帯電話を取り出し 中塚のデータをすべて削除した 
「お〜い 風邪ひくぞぉ〜」 夫の声に呼ばれて西田は 「うん!」
そう返事して部屋へと戻った

やがて窓灯かりの向こうから賑やかな夕げを囲む声が聞こえてきた
外は すっかりと暮れて空には満天の星が瞬いていた

                            〜完〜

 

 

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